日記・コラム・つぶやき

2017年1月 2日 (月)

2017年 謹賀新年

  今年もヨロシクお願いいたします。

 
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 正月も関係なく、日課の散走に出ております(^^)
 
 写真は、東京の千川通り、干支の絵で有名な材木屋さん。
 
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2016年7月15日 (金)

真夏のサイクリングには霧吹きを持って行こう

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この時期、テレビでは熱中症のニュースがよく流れます。
 
・水分補給が大事。
・エアコンを適切に使いましょう
 
では、なぜ水分を補給するのか?  それは(とくに夏には)体温を下げるために大量の汗をかくからです。
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人は汗をかくことで体内の熱を外に排出しますが、それには2種類あって、熱そのものを汗と一緒に排熱する方式と、もう一つが、汗が蒸発するときの気化熱を利用して体表面の温度を下げること。
 
どちらも体内の水分を大量に使いますから、その都度スポーツ飲料などで補給する必要がありますが、
 
でも、この二つの効用のうちのどちらも、あまり使わずに済ませる方法があります。
 
ボトル(水筒)の水を直接、体にかけるのもアリですが、本当に暑い日だと、ボトルの中身はお湯になってて効果は半減。しかも、かけかたによっては水のほとんどはそのまま下に流れ落ちてしまい、効率が悪いのです。
 
そこで登場するのがミスト(霧吹き)。
 
ミスト付きのボトル(水筒)もありますが、あらためてそんな商品を買わなくても、100均でペットボトル用の霧吹きのヘッドを買ってきて、ペットボトルに入れた水を、しゅっしゅと体にミストすればいいのです。
 
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水は(水滴は)粒が細かいほど気化しやすいので、ウェアにかかる前にすぐに蒸発しますし、ウェアの繊維の表面に付いたぶん、繊維に染み込んだ分、と、ボトルの水を体にかけるよりもはるかに効率良く気化熱で体温を奪ってくれます。
 
ただしそれは自転車で 「走っているとき」 だけです。走っていれば自転車は(扇風機を使っている時のように)風を受けますからね。
 
ペットボトル一本分の水を、気温35度なら1時間くらいで使い切ります。スポーツドリンクと違って、ただの水なので、公園などで簡単に補給ができます。(ペットボトルは炭酸用の再利用がオススメ)
 
そのぶん、ボトル(水筒)で持っていく水を少なくできます。
 
また、汗と違ってミネラル分を含まないので、雑菌によってウェアが臭くなりません。
 
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で。できれば、ペットボトル用のボトルケージも用意して、ハンドルのステムの左側に(ミノウラやトピークの市販アダプターを利用して)固定しておけば、ボトルケージに霧吹きを入れたまましゅっしゅとミストできます。
 
*左側に固定するのは、停車時に膝が当たらないようにするため
(写真の霧吹きは、まだペットボトル用のヘッドが発売される前のもの)
 
さてこうすることで、夏にグループで走った時、仲間のウェアが乾いた汗で白いまだら模様になった時でも、自分だけは・・・
 
でも、油断をするとこうなります↓
 
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2016年4月20日 (水)

腕時計を買った

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もともと僕は時刻を気にする方で、
腕時計にはこだわってたのね。
親戚が時計屋さんを営んでおり、
子供の頃、入学祝いに新しい時計を、ということになって店で腕時計を選ぶことになったんだけど、子供の頃は何がいいのかわからないのですごく選ぶのに時間がかかった記憶がある。
 
その後、父が腕時計の修理をアルバイトにしていたので、我が家にはそんな工具がいっぱいあった。
 
もともと祖父は医者で、顕微鏡とかメスとかハサミとかもいっぱいあった。
 
父はとても手先が器用で、僕はそんな家庭で育ったのだった。
 
数十年前にスイスのロンジンというメーカーの腕時計を買った。とても正確に時を刻む商品で、年差10秒以内。
 
チタンとステンレスで文字盤の見易さを優先してステンレスにした。12万円くらいだったかな。
 
その後、中に水が入るようになって、雨の中歩くと、ガラスが内側から曇るようになって使わなくなった。
 
父が使っていた腕時計も、リューズの部分がダメになって使わなくなり、腕時計をする習慣がなくなったけど、やはりないと困るので
 
100円ショップの腕時計を買った。
でもどこかに行ってしまって見つからない。
2個目を買った。 バンドを止める部分が割れた。
 
 
ということで、最近買ったのが、シチズンの1080円の腕時計。
 
文字盤がでかく、アラビア数字。
 
妻が昨夜アマゾンで注文して、届いたので、早速つけてます

2016年1月 4日 (月)

中野区・練馬区の自転車ナビマーク

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  2015年は、僕の散走コースに 自転車ナビマーク が一気にペイントされた年でした。

 

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 そのおかげで、車道の左側を走る自転車が少しずつ増えていきました。しかし、右折レーンがあるために直進レーンが狭い大きな交差点部分には、まだ自転車ナビマークはありませんし、ナビマークの上に違法駐車する車もあとを絶たず、理想には程遠いのですが、それでも嬉しいことには違いありません。

 

 その始まりのきっかけが、早稲田通り、野方警察署前に設置されたこんな看板でした。

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 そんな、どんどん増えていく自転車ナビマークを動画に撮ってまとめてみました。

 頑張っているのが、東京都中野区です。

  地図にナビマークのあるコースを書き込んでみると、そのほとんどが中野区にあることがわかります。

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   ◎ 練馬区   幹線道路(歩道あり)

千川通り(西武池袋線 江古田駅の前>練馬消防署前/道の片側のみ)1.2km

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特徴:道の南側にしかナビマークはない。理由は、北側には『千川上水』を暗渠にした広い歩道や遊歩道があるからだと思われる。ほぼ西武池袋線の線路に沿った千川通りは、交通量も比較的少なく、南側にある大幹線道路の目白通りや、新青梅街道、早稲田通りに比べれば、自転車にはとても走りやすい道である。しかし、本当にナビマークを付けて欲しいのは、この中野区部分よりも少し東側に位置する、武蔵学園や江古田駅の前である。学園の環七の角部分の歩道や、江古田駅の南側の歩道は、歩行者がすれ違うのも難しいほど狭いのに、なんとそこは『普通自転車通行可』なのである。しかし、けっしてナビマーク設置が難しいような車道幅ではない。いつでもナビマーク設置が可能なだけの十分な道幅が車道にはある。管轄署や区の交通規制課が頑張れば、いつでも設置ができるはずなのだ。

 

西武池袋線、練馬駅北側 650m

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特徴:駅前の区の文化施設や公園をぐるっと取り囲む道である。西武池袋線のこの部分はすでに高架になっていて、線路沿いの千川通りを「表」とすれば、北側は「裏」にあたり、西の練馬高野台駅から、東の中村橋駅まで、(少し曲がりくねって入るけれど、ほぼ線路沿いに走ることができる、自転車でも使いやすい道となっている。しかし、練馬駅北側で東西を結ぶ裏道コースは分断され、そこだけは千川通りを使うしかない。

 

   ◎ 中野区   幹線道路(歩道あり)

早稲田通り 大和町>新井交差点(中野通り) 1.7km

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早稲田通り 新井小の前>新青梅街道 990m

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新青梅街道 中野区部分(鷺宮>哲学堂公園) 4.8km

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特徴: 新青梅街道、 中野区部分のほぼ全部にペイントされている。他の区間と比べても際立って長く、その意義は大きい。新青梅街道もこの部分は比較的道幅に余裕があり、一部は車線幅を統一するためにセンターライン部分にゼブラゾーンがあるくらいだ。このゼブラゾーンを廃止して、自転車ナビマークをもっと増やせば、自転車にとってももっと走りやすい道になると思われる。

 

   ◎ 中野区   歩道無し(一部、歩道あり)

早稲田通り 野方警察病院前>西武新宿線 野方駅 1.4km

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早稲田通り 野方警察署前>西武新宿線 沼袋駅>新青梅街道 1.9km

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特徴:新青梅街道と早稲田通りの間を、沼袋の駅前商店街を中心に南北に結ぶ、抜け道コースとしてはとても便利な道なのだが、動画撮影は午後なのに駅前のこの混雑ぶりをみるにつけ、では朝の通勤通学時には駅前はどんな状況になるのかと、想像するだに恐ろしい道でもある。西武新宿線の踏切と平和の森公園の前を除けば比較的走りやすい道なのだが、車道を走れる自転車なら、中野通りの方がはるかに走りやすいので、僕はこの道はほとんど走ることはない。

 

早稲田通り 西武新宿線 都立家政駅の東>大和町 1.3km

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* 中野区の自転車ナビマーク設置については、フェイスブック『自転車は左』グループ も参考にしています。

 

2016年1月 1日 (金)

2016年 謹賀新年

                   あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す

 

 

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 日課の散走コースのちょっと脇にある公園で見つけた、大人用の筋トレ遊具。昨年末に始めた平行棒で上腕三頭筋の筋トレをしています。
 
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                              なかなかキツイ〜
 
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 絵描きは体力が大事。脚の筋力の衰えは絵全体に悪影響となって現れますが、上半身の、特に腕の筋肉は絵に描く「線」の伸びに直結することがわかりました。
(タブレット用のスタイラスペンの先端にも影響するけどね)
 
 さて 今年はちょっと方向を変えて、自転車のアプリもいっぱい出す予定です。
 
でもそれは置いといて、正月は読書三昧ですのよ。

2015年12月22日 (火)

生賴範義さんの追悼文を書いた(西日本新聞 2015年12月15日)

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 そうだ忘れてた。西日本新聞から依頼があって生賴さんの追悼文を書いたのでした。

 
 僕は文章を書くプロではないので、言いたいこと、伝えたいこと、知ってもらいたいことが奥の方から湧き上がってくるまでは文章にできないのですが、(なんと、締め切りがなかったのですよ。完成したらそのための紙面を用意する、ということでした)、
 
 しかし、年末に近くなって、もうそろそろやばいという連絡があり、慌てていろいろ思いついたテーマをメモ書きみたいに書いて、そんな文章が5000字くらいになったところで、一旦全てを忘れて、もう一度、ゼロから一気に1200字の文章を書いたのでした。
 
 それを編集部に修正してもらい、さらにそれを自分のリズムに直し、最後の校正刷(といってもデジタルなんですが)チェックして言葉を少し変更したりしたのでした。
フェイスブックへのリンク(登録してなくてもリンクを見られるのかな? よくわかりませんが)
 
 僕が生賴さんとお会いしたのは、昨年の宮崎の生賴範義さんの展覧会でギャラリートークをやるために会場にいった時が初めてでした。
 
 それまでは、一度だけ電話でお話ししたことがあります。昔、妻の提案で、日本SF大会の会場で『ゴミ屑オークション』というのをやることになり、画家やイラストレーター、漫画家の皆さんが、失敗してくずかごに捨てた絵を集めてオークションで売ろう、その売り上げを大会の運営に使ってもらおう、てな企画。
 
 大友克洋さんの絵とかももらったぞ。
 
 そして生賴さんには絵を3枚送ってもらったのだった(板に描いてあった)。そのうち2枚は僕のものにしていいよ、と生賴さんが言ってくれた。電話した時、緊張したなあ。人生でこれほど緊張したことなかったぞ、なくらいだった。
 
 それまでは、朝日ソノラマから出た僕の画集に序文を書いてもらったりしたのだけど、連絡から何まですべて編集部がやってくれたので、僕は「生賴さんに頼みたい」って編集部に言っただけだった。
 
 

2015年12月15日 (火)

トキワ荘の記念碑がある南長崎花咲公園

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 僕の仕事場は自宅から歩いて5分のところにあり、近すぎて自転車通勤ができません。そこで、仕事場に自転車を置いて、雨が降っていなければぐるっと10〜24キロほど、周回コースを走ってきます。そのコースの中に一箇所、休憩地点として決めているのが東京都豊島区の『南長崎花咲公園』です。ここは漫画の聖地『トキワ荘』(手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚不二夫がデビュー当時、一つの屋根の下で仕事をしていた)があった場所のすぐそばで、公園の一角にトキワ荘の記念碑(ミニチュア)があるのですが、昨日はいつもより遅く散走に出発したせいで、公園に着いたのは夕方になってから。

 

 そこではじめて気づきました。記念碑を照らす照明が、昭和初期の傘がついた白熱灯(実際は電球色のLED)だったのですね。見れば照明の支柱に貼られている住所表示のパネルも、なんだか昔に見たような形状をしてます。
 
 これまであんまり上を見上げることはなかったので、ちょっとびっくり。色々な角度で撮影して、この写真が一番、雰囲気が出てるかな。

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 ついでにお隣のお店も写真に撮りました。こちらは旧い傘のついた照明が幾つかぶら下がっています。記念碑の照明もそこの店長さんのアイデアなのかな? 時々この公園で開かれているトキワ荘関連のイベントでお会いするくらいですけどね(ほとんど毎日、店の前を自転車で通っているんだけど)。
 
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 とブログに載っけた翌日、またいつものようにトキワ荘の記念碑のある公園の鉄棒で、いつものように「筋肉試し」の懸垂10回を終えて公園を出たところに、お隣のお店の店主さんが。
 
 そこで、照明の傘のことを伺ってみた。まあ結果は、予想どおり。
 
 そして、写真にあるような本をいただくことになったのであります(いま、ざっと読み終えたとこ)。
 店主さんが寄稿した文章の中に、手塚さんも会員だった出版美術家連盟(当時の会長は岩田専太郎)のエピソードが出てきたりします。その出版美術家連盟の忘年会が上野であり、なんて文章を読むと、あ、あの店だな、と何となく想像できるのだけど、僕がまだ会員だった頃、はじめて買った折り畳み小径自転車で上野まで走り、盗難を心配しながら、頑丈な鍵で自転車を電柱にくくりつけたことを懐かしく思い出したりしてました。
 
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サブカル・ポップマガジン『まぐま』vol.20(表紙イラスト・構成・松田優花)


2015年11月20日 (金)

年末助け合い『第34回ふるさと知名人チャリティー色紙展』

 
 
[展示期間・ところ]
平成27年12月2日(水)〜4日(金)10:00〜19:30
(4日は18:00まで)※購入者には引換券
遠鉄百貨店本館  8階  スペース8(浜松市中区砂山町)
 
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普通、色紙の紙って、僕らがよく使う画材だとスゲー描きづらいのだけど、この色紙は中日新聞社にワトソン紙(水彩用の紙)で作った色紙を用意してもらってるので、そのへんの心配はないのであります。

2014年8月 2日 (土)

僕がイラストの著作権を譲渡しない理由 5

まず「著作物」の定義を紹介しておこう。
今回の文章の後のほうでこれが大きく関わってくる。
 
 「著作物」とは「思想や感情を創作的に表現したもの」
 
この「もの」というのがミソで、
どんな形や媒体であれ、何かに記録されていなければならない。
 
じゃあ、歌や演劇はどうなの?
演奏や実演(演技)は?
ここのところを僕は(自分のジャンルと違うので)よく覚えていない。
歌は、歌詞(文章)と曲(メロディ)で出来てる。それらの著作物は、それぞれ別個の作品で、それが結びつき歌ったり演奏されたりする。(歌や演奏は)その場で空気を振動させるけど、そんな空気による振動は、何かに記録しないと消えて行ってしまう。
 
そこで磁気テープや光ディスクやハードディスク、メモリーに記録する。
いずれは、耳から鼓膜を通じて脳に「記録」された『記憶』も定義に含まれることになるかもしれないけど、今はまだそこまで時代は進んでいない。
最終的な「著作物」は普通はひとつ、だが(連作のように複数生まれる場合もあるが、それも基本単位はひとつ)そこにいたる工程にはさまざまなルート、分岐や合流、紆余曲折が考えられる。
 
作品作りに間接・直接に関わる人数も様々だ。
歴史上の作品に触発されたり参考にしたりして(たった)一人で作り上げられた作品から、少人数で創られた作品(協力の形態もさまざまだろう)。そしてハリウッド映画のように膨大なスタッフによって作り上げられた作品まで。
共同著作物の権利に関することがらでいちばん厄介かつ切実な問題は、その作品に与えられる名誉と著作権使用料だ。名誉のほうは、名前を併記すればよいが(順番や文字の大きさの違いはあるかもしれないが)
著作権使用料の分配になると大きなトラブルを生みかねない。
 
 どんな比率で、どういう手続きで分配するのか
 
作品への寄与度や力関係、地位や立場や商慣習の違い(ジャンルによって異なるだろう)で分配時の金額は決まる。駆け引きも必要になる。考えただけでも途方にくれるのは間違いない。
 
劇場用の映画では、むかし、やはりそんなふうに考えた人がいた。
「多少乱暴だけど後でトラブルが起こらないように法律で決めちゃおう」とね。
日本では
 
 劇場用の映画の著作権は配給会社に帰属する
 
と著作権法に定められたのだ。
 
だがこのルールにも(この連載の始めのほうに書いたように)僕は異を唱えたい。
「著作物はそれを作り上げた人に帰属する」という著作権法の理念に反するからだ。
 
配給会社は、出資者であり、作品を「創作的に表現した」人ではないからだ。
だが日本の著作権法は、出資(投資)もまた賭けに近い、リスクの大きな(コケたら大損)重要な仕事だから、見返りも大きくならねばならないと考えたのだろう。
 
現著作権法の制定時に当時の大映の社長さんが、無理矢理(?)にそのルールを紛れ込ませたようなのだ。
そのことを、日本SF作家クラブが主催する「日本SF大賞」の授与式で配布された小冊子に掲載されていた「選考にあたって」だったかな、で知ったのだ。
その年の日本SF大賞は、とある映画に与えられた。その際、日本SF作家クラブでは、著作権を持つ配給会社(出資者)ではなく、実際に映画を創作的に表現した監督やそのスタッフに対して賞を授与したのであった。
 
(あと少しだけつづく)

2014年7月30日 (水)

僕がイラストの著作権を譲渡しない理由 3

 
前回、「職務著作物」のことを書いた。
しかしそれらのルールや商慣習はあくまで原則論だ。
 
会社と会社員の関係は、両者の間に交わされた「雇用契約書」に従うことになるが、そんな契約書がない場合には、原則に従うことしよう、というわけだ。
例えば、「雇用契約書」に、「会社から給料をもらって、その業務として描いたイラストの著作権も、そのイラストを描いた会社員個人に帰属する」なんてあったら、こっちが優先だ。
 
まあ、そんな契約を交わすことはないだろうけど。
 
しかし、僕が所属する株式会社スタジオぬえは違う。
 
もちろん、特別な取り決めが無い場合は、職務著作物(法人に権利が帰属する)は一般の会社と同じだ。
だが、スタジオぬえの設立趣旨は、
 
「スタジオぬえという会社は、個々のクリエーターの集合体で、通常は個人名(名義)で仕事をし、経理や請求書の発行や税金の処理など、面倒な作業をまとめて代わりに行う」というものだった。
1977年に、スタジオぬえは、早川書房から出版された『宇宙の戦士』(文庫版)のイラストを担当した。そこに登場するパワードスーツ(機動歩兵)は、ぬえの宮武一貴がデザインし、同じくぬえの僕がイラストに仕上げたものだ。
 
いまでもこの『機動歩兵』はプラモやフィギュアとして商品化されている。
 
その著作権使用料は、いったんはぬえの口座に振り込まれるが、その後、宮武、僕、スタジオぬえとで、その著作物への「貢献度」の比率に従って分配される。
僕らは、「職務著作物」よりももっと上位のルール、「著作物の権利は、それを生み出した著作者に帰属する」という考え方を大事にしているからだ。
このような、複数の著作者によって作られ、しかもそれらの創作が複雑に絡み合い、作品の諸権利を明確に分離できない作品を
 
 共同著作物
 
と呼ぶ。