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2014年8月 2日 (土)

僕がイラストの著作権を譲渡しない理由 5

まず「著作物」の定義を紹介しておこう。
今回の文章の後のほうでこれが大きく関わってくる。
 
 「著作物」とは「思想や感情を創作的に表現したもの」
 
この「もの」というのがミソで、
どんな形や媒体であれ、何かに記録されていなければならない。
 
じゃあ、歌や演劇はどうなの?
演奏や実演(演技)は?
ここのところを僕は(自分のジャンルと違うので)よく覚えていない。
歌は、歌詞(文章)と曲(メロディ)で出来てる。それらの著作物は、それぞれ別個の作品で、それが結びつき歌ったり演奏されたりする。(歌や演奏は)その場で空気を振動させるけど、そんな空気による振動は、何かに記録しないと消えて行ってしまう。
 
そこで磁気テープや光ディスクやハードディスク、メモリーに記録する。
いずれは、耳から鼓膜を通じて脳に「記録」された『記憶』も定義に含まれることになるかもしれないけど、今はまだそこまで時代は進んでいない。
最終的な「著作物」は普通はひとつ、だが(連作のように複数生まれる場合もあるが、それも基本単位はひとつ)そこにいたる工程にはさまざまなルート、分岐や合流、紆余曲折が考えられる。
 
作品作りに間接・直接に関わる人数も様々だ。
歴史上の作品に触発されたり参考にしたりして(たった)一人で作り上げられた作品から、少人数で創られた作品(協力の形態もさまざまだろう)。そしてハリウッド映画のように膨大なスタッフによって作り上げられた作品まで。
共同著作物の権利に関することがらでいちばん厄介かつ切実な問題は、その作品に与えられる名誉と著作権使用料だ。名誉のほうは、名前を併記すればよいが(順番や文字の大きさの違いはあるかもしれないが)
著作権使用料の分配になると大きなトラブルを生みかねない。
 
 どんな比率で、どういう手続きで分配するのか
 
作品への寄与度や力関係、地位や立場や商慣習の違い(ジャンルによって異なるだろう)で分配時の金額は決まる。駆け引きも必要になる。考えただけでも途方にくれるのは間違いない。
 
劇場用の映画では、むかし、やはりそんなふうに考えた人がいた。
「多少乱暴だけど後でトラブルが起こらないように法律で決めちゃおう」とね。
日本では
 
 劇場用の映画の著作権は配給会社に帰属する
 
と著作権法に定められたのだ。
 
だがこのルールにも(この連載の始めのほうに書いたように)僕は異を唱えたい。
「著作物はそれを作り上げた人に帰属する」という著作権法の理念に反するからだ。
 
配給会社は、出資者であり、作品を「創作的に表現した」人ではないからだ。
だが日本の著作権法は、出資(投資)もまた賭けに近い、リスクの大きな(コケたら大損)重要な仕事だから、見返りも大きくならねばならないと考えたのだろう。
 
現著作権法の制定時に当時の大映の社長さんが、無理矢理(?)にそのルールを紛れ込ませたようなのだ。
そのことを、日本SF作家クラブが主催する「日本SF大賞」の授与式で配布された小冊子に掲載されていた「選考にあたって」だったかな、で知ったのだ。
その年の日本SF大賞は、とある映画に与えられた。その際、日本SF作家クラブでは、著作権を持つ配給会社(出資者)ではなく、実際に映画を創作的に表現した監督やそのスタッフに対して賞を授与したのであった。
 
(あと少しだけつづく)

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