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2011年11月 7日 (月)

垂直世界11 主人公を配置

垂直世界10 垂直世界の交通網からのつづき
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 今日はずうっとインディアン。

 昔のオートバイは、鉄の丸パイプの組み合わせで出来たフレームにパーツをくっつけているので、考え方は自転車と同じで描きやすいのだ。

 昔のインディアンは(ノートンも同じだけど)フォーク(前輪を支える二股のパイプ)がトラス構造になっているだけでなく、イギリスの分割式自転車『モールトン』と似た構造のサスペンションを持ち(板バネを使っている)そのあたりを「発見」しながらの作業はとっても楽しいものになってます。

 でも、今回は、前後輪のハブ(車軸)には、垂直の壁に吸い付くためのワイヤーを打ち出す装置があり、オートバイが転倒から下半身を守る横に突き出たガードや、後ろのほうに延びる排気管はピトンを打ち出すワイヤーと干渉することになってしまい、多少、実車とは配置を変更する必要が出てきました。

 インディアンとノートンが80%くらい完成したところで、夜は、主人公と、主人公が寝てた垂直の壁に吊るしたテントを描き始めました。
 いつもは、描いたり消したりですが、今回は効率を上げるため、フォトショップのレイヤー階層機能を使い,別々に描いています。このあたりは、ペインターではどうしても動作が遅く(重く)なり、両方のソフトを使い分ける必要があります。昔と比べてフォトショップの筆でもそこそこ絵が描けるのでありがたいです。

 手前のインディアンと女性。奥のノートン。
 その中間にテント。テントのこちら側に主人公という位置関係になってます。

 女性の顔と主人公はちゃんと見つめ合う感じになったゾ。

 途中経過をブログで公開しながらの作業ですが、完成形が自分なりに満足できるものになりそうなことが確認できてほっとしています。

 これだけいろいろ解説などしてきたあとに、出来上がった絵がつまらなかったりすると、SFマガジンを買ってくれる読者にもうしわけないし。

2011年11月 6日 (日)

垂直世界10 垂直世界の交通網

垂直世界9 女性の顔を描く からのつづき
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 何度も構図の微調整をしながら絵を描き進めているところです。

 一度は完成したかと思った女性の顔も、一晩寝てあらためて見直したてみたら、やっぱりまだ変でした。想像だけで描いているので、骨格そのものや、透視図法的に間違っていたらしいのです。どうやら耳の位置が上にあり過ぎ、作者(僕のこと)の視点を、壁から3メートルほど離れた場所においているはずなのに、2メートルくらいのところから見たような形で描いていたみたいだ。

 この問題に気付いたことで、女性の身体の大きさと、インディアンの大きさの対比に狂いがあることにも気付きました。しかしそれを解決するためには、もっと根本的なところから検討し直す必要が出てきました。

 でもその前に透視図法のことを説明しておきましょう。
 透視図法では、消失点から延びる無数の線は、直線で描くのが基本です。でも本来は、近距離になれば、それらの線は湾曲します。一眼レフカメラのレンズで言うと、対角線魚眼に近い。とくに近距離ではこの「歪み」が顕著に表れます。
 最初から透視図法でもって、すべてのガイドラインを描いてから絵を描き始める人もいますが、僕はその方式を取ることはあまりありません。理由は単純。めんどくさいのです(たとえ後で苦労することがわかっていたとしても)。頭の中にイメージが浮かんだら、もうすぐにでも絵にしてみたいと思うのですよ。


 また、最初から正確を心がけると、その作業だけで力つきたり、最初のインスピレーションが失われてしまうこも経験してきました。

 映画のセットも似ています。狭い部屋で望遠レンズを使うと、互いの位置関係や距離感はイメージに近くても、部屋全体が画面の中に入りません。脳は、自動的に立体を補正し、組み立て直して思い浮かべているのね。しかし全部を画面に収めようと広角レンズを使うと、遠近感が強調され過ぎてしまいます。
 こんなとき、映画のセットでは、手前の壁を取り去ってしまいます。

 同じように、奥に配置したものが、手前のものに隠れてしまうことがあります。絵ではこれを避けるために、あえて地面を傾斜させることがあります。手前の地面を低く、奥の地面を盛り上げる。記念撮影の集合写真では、階段や奥の人を高い位置に立たせることがありますよね。その手法です。実際には斜面になってるけど、それを「言わない約束」として描いてしまうのです。これは絵だから出来ることなのです。

 この「言わない約束」を前提に無意識に構図を決めてしまうと、この「約束」があとで足かせになる場合もあります。
 今回のイラストでは、垂直の壁には、オートバイが下方向に落ちていかないように壁にはケーブルが張り巡らされており、それが透視図法の間違いや嘘を目立たせる結果になりかねません。

 というわけで、ケーブルの配置を工夫して誤摩化せるかどうかを試してみました。
 上下に張られたケーブルと、水平に延びるケーブルの交差部分に、縦から横、横から縦に移動するカーブした斜めのケーブルを混ぜることにしたのです。上手くいったような気もしますが。


 構図の問題は解決したら、次は、SFイラストとしての「理屈」の確認です。上下と水平のケーブルが直接、交差する部分はどうなっているのでしょうか。最初は立体交差で考えていました。しかしその後に、水平に移動するほうが時間がかかるという描写を小説中に見つけたのです。

 そこで、上下の太いケーブルは途切れなく続いているが、水平のケーブルは、交差部分でいったん壁の中のトンネルを通すことにしました。ここでケーブルを分けてしまうと、その1カ所に大きな力がかかります。それを支える構造物を作るほうが、遥かに大変で金もかかる。トンネルなら、少し壁の表面をえぐりとって、トンネル素材を埋め込めばいいのです。

 垂直の世界では上下優先がルールと也、水平を移動する場合、この交差部分では、オートバイは一時停止して、ケーブルの反対側を掴み直すような方式ですね。前後輪は、上下のケーブルを乗り越えるのはけっこうタイヘンかも。

 こういった事柄を考えながら、オートバイとケーブルの位置関係も決めていきます。
 オートバイの重量は、このメインケーブルと、オートバイのハブ(車軸)から前後に打ち込まれるワイヤーの先に付いたピトンが使われます(人物の移動と同じ)。

 そして、このハブから打ち出される先端にピトンが付いたワイヤーが、走行中にケーブルを擦る音がする、という描写も見つけました。

 これらを総合的に判断して決めたのが、以下の図です。
 (青く塗った部分がケーブルの断面)

02s


 そもそもこのケーブルを使った交通網は、『シリンダー』が作られたときに、最初の設計段階から折り込まれていたのでしょうか。小説には、壁のあちこちにアクセスのための端子がありますが、ケーブルとともに、どうやら、後付けの雰囲気が色濃く漂っています。市民たちは、最初はシリンダーの内部で生活していますが、それが長い時代をへて、シリンダーの外の垂直の世界(荒野)に乗り出していったらしいことから類推できます。

 これが、垂直の壁にケーブルがつなぎ止められている構造や金具(支持架)のデザインに繋がります。
 水平に張られたケーブルは自重で垂れ下がるでしょうから、その間隔も短くなるでしょう。

 そしてそれらの要素がまた、構図の嘘を暴くことになり、どんどん深みに・・・

垂直世界11 主人公を配置につづく
(イラストの公開はSFマガジン2012年1月号で)


垂直世界9 女性の顔を描く

垂直世界8 死の壁を走るインディアンからのつづき
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 イラストレーターによる『イラストめいきんぐ』のカテゴリーの連載でありながら、絵を紹介できないまま連載を続けることになってます・・・。

 今日は、主人公が乗る、サイドカー付きのノートンのオートバイのサイドカーを途中まで描きました。
 インターネットの画像検索では、オートバイ単体ならばピッタリの向きのぴったりな画像が見つかったのですが、サイドカーは残念ながらそうではなく、色々な向きの複数の写真を参考にしながら、オートバイ本体の向きに合わせて頭の中で角度を変えねばなりませんでした。これがけっこう難しい。最初、僕はもっとサイドカーはコンパクトなものだと思っていたのですね。ノートンの車体が大きく隠れてしまうことがわかりましたが、でも逆にエンジン部分を描かなくて済むから作業が楽になったともいえます。

 ここで素朴な疑問。
 こんな大きなものを脇にくっ付けて、オートバイは真っすぐに走れるの?

 そりゃ、実際に走っているので、走れることはわかっているのですが、その理屈が知りたいなあ。あとで検索してみよう(僕のおじいちゃんは、サイドカーにおばあちゃんを載せて走り回っていたそうです)。例えば、自転車は、車軸(ハブ)さえフレームと正確に垂直に付いていれば、後輪が多少横にズレていても真っすぐに走ります)


 次ぎがインデアインに乗る女性です。

 今回はこの女性が絵のメインテーマのひとつ。ここが上手く描けないと、絵全体が台無しになります(オートバイはメカなので、大きく失敗することはないだろうし、そんなに心配はしていない)。

 この連載の最初のほうを見ていただければわかりますが、ノートンに乗る主人公と、今回絵に描くインディアンに乗る女性は向かい合う位置関係にあります。

 最初は女性の顔を描きたかったのですが(女性の顔を絵に描くのが好きなのです)ノートンは、全体の形が整い過ぎており、垂直世界を走り回るメカニズムを「描き加える」のには向きません。やっぱりインディアンのほうが、改造の「し甲斐」がある。こちらを手前に大きく描いてそれを読者に見てもらいたい。

 そんな風に、いろいろな要素を考えていくと、選択肢はあんまりありません。

 子供が生まれてすぐに母親の顔を見わけられるように、人は人の顔に対して特別な興味を持つ。それは画家もおなじで、正面や斜め横の顔は、絵に描くことも多く、慣れているのですが、向こうを見ている顔は、とっても難しいのです。

 描いては消し、描いては修正して何とか描き上がったのは夜の10時過ぎ。
 いちおう気に入った顔になったのですが、そこで問題が。
 小説の描写よりは、だいぶ若い顔になってしまっていたのでした。

 ぼくが女性の顔を描くときは、ほとんどいつもぶっつけ本番で描いていくので、小説家がよく悩むように「登場人物が、作者の手を離れて勝手に動き出す」みたいなことが度々起こるのですよ。そして今回も。

 幸い、ぼくはデジタルで絵を描いているので、一度完成した顔を、上から塗りつぶしていっても、元の絵はハードディスクにバックアップが取ってあるから(数時間かけて描いたその作業時間は無駄になってしまうけど)変更するのに躊躇することはありません。あらたに描き直すことにしたのでした。もっとも肌の色合いなどは、元の絵(顔)が生かせるので、うまくいけば、最初よりも早く描き上がることも多いのですが。

 そして、少し歳上の女性の顔が完成したのが、11時半。
 やったー。

 女性の身体のほうもうまくいったような気がします。
 この女性は、「垂直」の世界で生まれ育ったせいで、横方向のGに耐えて垂直の壁を歩き回るだけの筋肉をそなえているという設定ですが、僕はこの女性の身体をけっこう細めに描いていて、さてどういうふうに筋肉を描写しようと悩んでいたときに思い出した映像が。

 いま来日中のバレリーナ。ボレロを踊っているニュース映像が頭に浮かんだのです。
 これだー!

垂直世界10 垂直世界の交通網につづく
(イラストの公開はSFマガジン2012年1月号で)

 この連載も次で二桁に突入であります。

2011年11月 5日 (土)

垂直世界8 死の壁を走るインディアン

垂直世界7 コスチュームデザインからのつづき
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 『垂直世界の戦士』を、今度は、杉並区の図書館で借りてきました。

 中野区の図書館でそのタイトルに引かれて読むことになったジーターの『垂直世界の戦士』

 読み始めたら絵にしたいシーンばかりで、読み終えた後に「どうしても絵にしターーイ」とツイッターでつぶやいて、最終的にSFマガジンの2012年の1月号、巻頭ギャラリーページでの掲載が決まったのですが、そのときには本の返却日が近づいており、貸し出し期間の延長手続きをお願いするよりは、どうせなら近所の(杉並区の)図書館で借りようとネットで検索したら、南荻窪図書館にあることがわかり、早速借りにいこうと考えたその日が、なんと休館日だったことが判明。それじゃあ、ってんで、練馬区の石神井図書館に。
 普通は、各区内に何冊ずつかあるものなんですが、『垂直世界』は1冊ずつしかなかったのでした。

・・・というのが前回までのあらすじ。

 というわけで石神井図書館に行ったら、今年の星雲賞(海外長編部門)を受賞した『異星人の郷』の対抗馬だったらしい『時の地図』(上下巻)があるではありませんか。2冊目の『垂直世界の戦士』と一緒に借りてきたわけなのでした。
 この『時の地図』がなかなかの傑作で、『垂直世界の戦士』の絵は描きつつも、つい『時の地図』を読んでしまっていたのでした。

 そして、『垂直世界の戦士』の絵の構図も決まり、いよいよ細部の書き込みのために、借りてきた2冊目を読もうかな、でもその前にやっぱり『時の地図』を最後まで読んでしまおう、そうすると、イラストを描き上げる前に返却日がきちゃいそうだな、それなら念のために、今度は、休館日で借りられなかった南荻窪図書館に行って前もって借りておこうと、昼過ぎに3冊目の『垂直世界の戦士』を借りてきたのでした(ついでに、同じジーターの『ダーク・シーカー』も)。
 そして夕方帰宅して気付いたのです。念のためどころじゃない、その日が、2冊目の『垂直世界の戦士』と『時の地図』の返却日だったのでした。
 慌てて『時の地図』をなんとか読み終え、練馬区の図書館へ。

 そしていま、無事に、新たに杉並区の図書館で借りた『垂直世界の戦士』を読み直し、絵に描くための描写を詳細に洗い出してるところです。

 ノートンのオートバイは車種がしっかりと書かれておりました。
 ノートン850インターステート。僕の好みからはちょっと新しすぎるけど、作者が自分の作り上げた世界の主人公にこのオートバイを使わせるのにはそれなりの意味や理由があるのでしょう。

 インディアンのほうは具体的な車種を記述した箇所は(いまのところ)どうやら出てこ無さそうなので、画像検索中に見つけた「木製の円筒の中の垂直の壁をぐるぐる回るサーカスなどのアトラクション(←動画にリンクしてます。音量がでかいかも。ボリュームに注意*)で使われたというインディアン」をモデルに書く予定です。僕の好みの細いパイプのトラスフレームにメカむき出しの、とっても旧いタイプなのですよ。
 今後読んでいくうちに、かりに別の車種であることがわかったとしても、ここは「垂直の壁」つながりでこのインディアンでいきます。

 ひょっとすると、作者もこのインディアンから小説の世界の啓示を受けたのかもしれないし。

垂直世界9 女性の顔を描くにつづく
(イラストの公開はSFマガジン2012年1月号で)

*僕が子供の頃、毎年、巡業で廻ってくるサーカスにも、このアトラクションがありました。なつかしいなあ。

2011年11月 2日 (水)

アマゾンが提示してきた電子書籍の契約書のこと 2

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●契約書を交わすということ

 僕が契約というものに初めて直面したのは、コンピュータゲームの絵を担当したときです。もちろんそれまでも、銀行に口座を作るときとか、カードを作るときとか、生命保険の契約とかもあったのですが、それらはいわば「定型文」で出来ており、イラストを描いたその対価を、自分の責任において決めねばならない契約はその時が初めてでした。

 その契約でいちばん困ったのが文章がとても難解だったこと。その理由は、これから自分が交わす契約は、「企業」と「個人(僕のことね)」であるにもかかわらず、提示された契約書は、「企業」対「企業」の契約書をそのまま流用した、「そんなこと書かれてもわかんねーよー」みたいな条項ばかり(倒産したときのことが書いてあったりした)。

 でも、唯一、すぐに理解できた文章がありました。

   「イラストの著作権はゲーム会社に帰属する」

 そいつはヘンだろ。著作権は絵を描いた僕に帰属するのがあたりまえだろ。百歩譲って、

   「イラストの著作権はゲーム会社に譲渡される」

 なら、お金をたくさん貰えるなら、それでもいいかな、とは思いましたが。
 でも、ゲーム会社は、ほかの条項はいろいろ譲っても、「ゲーム会社に帰属する」だけはなかなか変更してくれません。
 結局何とか、僕の要求が通って、それで契約を交わすまでに大変な時間と労力が必要でした。
 本当なら、そんなことに充てる時間を、イラストを描くほうに振り向けるほうが、両者にとって有益なのに。

 ちょうど、コンピュータゲームのビジュアルが、ゲーム会社の社内(デザイン部門)から、個人のクリエーターに発注されるようになってきた頃で、あちらこちらから、契約書で困っているという話が伝わってきました。
 しばらくは、個々の事例ごとに相談に乗っていたのですが、これではラチがあかないと、ゲーム会社の社長さんたちの交流会で、直接、トップの皆さんに現状を訴えることにしたのです。

 そしてその会場で、僕は思いもよらない話を伺ったのです。
 ゲーム会社の社長さんたちも、ゲームの違法コピーの横行に悩んだ結果、組織を作ってこれに対向していたのです。

  加藤さん。あなたの言いたいことはよくわかる。我々も同じだったから。
  だから、イラストレーターで組織を作ったらどうですか。

 そして少し調べてみたら、なんと、絵描きやイラストレーター、デザイナーたちが既に30年前にそんな組織を作って活動していたことがわかったのです。それが日本美術著作権連合でした。

 参加していた団体は

 社団法人 日本美術家連盟(画家や彫刻の団体)
 社団法人 日本グラフィックデザイナー協会
 日本児童出版美術家連盟(絵本画家)
 日本出版美術家連盟(挿絵画家)
 日本理科美術協会(科学イラスト) 例によって記憶で書いているので間違いがあるかも

 過去には日本漫画家協会も会員団体でしたが、複写権の問題が持ち上がったときに、日本美術著作権連合を脱会
 日本地図なんとか協会(地図を描く人たち)解散

 その後、ぼくが勧誘して
 東京イラストレーターズ・ソサエティ

 僕はこの会の理事として10年ほど活動しましたが、その中には、他の業界団体と歩調をそろえて活動することもあり、著作権データベースでは、写真家や映画監督の皆さんと。貸本の問題では、出版社や漫画家の皆さんと。
 デザイナーの皆さんとは、本の装幀の著作権の啓蒙活動がありました。

●本の装幀の著作権

 前回の最後に書きましたが、本には多くの人が関わっています。
 本のカバーや奥付には、装幀家の名前が印刷されています。
 これの法律的な後ろ盾は、日本の著作権法に示された『氏名表示権』です。

 本の装幀も「著作物」です。したがって、その装幀を担当した人の氏名表示が、法律で保証されています。
 しかし、例えば、新聞や雑誌の「書評欄」には、本の装幀の写真が紹介されているのに、装幀家の名前はどこにもありません。装幀家の集まりである日本図書設計家協会では、新聞各社、雑誌社に対して、もう十数年。ずうっと「氏名表示のお願い」を続けていたのでした。しかしダメ。
 様々な返事が返ってきました。「そういう習慣は無い」「スペースが無い」「広告の一環だ」。どれも簡単に解決できるはずなのに。

 日本では、著作財産権の侵害は「親告罪」ですが、著作者人格権は、作品や作者の「名誉」にかかわる、財産権より強力な権利なのに。こうした活動で、ちゃんと「氏名表示」をしてくれたのは、早川書房のSFマガジンや、僕が親しくしている一部の雑誌、出版社だけだったのです。それは今も変わっていません。

 そして、今回は、ここからが本題(笑)

●電子書店での装画の著作権の扱い

 少なくとも、僕がカバーイラストを担当した書籍が紹介されることが多いSFマガジンでは、本の表紙が掲載されるときには、そこに僕の名前もちゃんと載っていました。

 電子ではない、街の書店でも、書棚から本を手に取ったとき、そのカバーを描いたイラストレーターが誰であるかは、カバーを捲ったり、本の奥付を見れば、ちゃんと載っています。しかし、

 アマゾンのページには、僕のイラストがカバーになった画像が掲載されているのに、僕の名前はどこにも無かったのです。聞けば、そもそも、アマゾンのページには、装幀家の名前を表示するプログラムがない、のだそうです。ここでもやはり、本の著者は、どこまでも小説家のことしか考えられていないのでした。

 この話の文章の第一回で紹介した、アマゾンが出版社に提示してきた契約の内容に、この装幀家の権利のことは書かれているのでしょうか。

 装幀の電子書店での販売に対する対価、著作権使用料については、出版社の取り分の中から分配されることになるでしょうが、それは「著作財産権」の範疇ですから契約でどうとでもなる。

 しかし、「著作者人格権」の「氏名表示権」という、いわば、装幀家やイラストレーターの、名誉とも言うべき問題は、今回の騒ぎの中では忘れ去られているのではないか、と危惧しています。

 次回は、そんな本作りに関わった人たちの分配率について、僕が電子画集を作ってきた例を交えながら書いてみたいと思います。

2011年11月 1日 (火)

アマゾンが提示してきた電子書籍の契約書のこと

 とりあえず、ぼくは、電子なら、(文章だけの)小説は、キンドルの画面で読みたいな。

●まずは、自分の立場、電子書籍とのかかわり合い

 仕事しては、僕が関わった本は2册、電子書籍になってます(hontoで発売中)

 僕の仕事場にも(実家にも)、本が山のようにあります。仕事場のほうは、小説に限ってはけっこう処分したけど、写真集や画集はそのまま。これらは、少なくとも今現在のiPadなどでは、解像度不足だし、自炊することもないと思う。

 僕が今出しているiPhone・iPad画集も、基本的には、ちょっと小さな判型(A5版)で出してたものを電子画集にしたもので(あ、早川書房から刊行されたグイン・サーガ画集は違うな。紙の画集はけっこう大きな判型だ)、元々その判型にした意図は、

 手軽にいつでも見られること、
 そしてSFマガジンを置いたの棚に一緒に並べてもらいたかったからで、

それはつまり、僕の仕事場にあるたくさんの画集が、大きかったり、箱に入っていたり、本棚の奥のほうでなかなか引っ張り出してこれないから、なかなか気軽に見ることが出来ない、という理由があったからなのですが(出してきた画集や写真集はつい、そのへんに放り出しておく結果に)。

 ぼくは、自分の画集は、そんなことを気にせずに、いつでも手に取って見てもらうことを優先したので、iPadでもまったく問題ないのです(かなり拡大して表示できるようにしたし)。

●話をアマゾンが提示した契約に戻します。
 僕はもとの契約書を見ていないので、どこまでも推測で書いてますが、まとめると以下のようになるらしい

・出版社の全書籍を電子書籍(データ)化
・紙よりも低い価格を義務づける
・収益の55%はamazonのもの
・書籍の著作権は出版社が保有するのが条件

 この4つ目について書いてみます。

 ぼくがこれまで出版社と印税契約で出した本は、そんなには多くないけど、僕自身が日本美術著作権連合の理事をしていた経験から、何も知らない方よりは知識もあり、企業との契約書も交わしてきた経験があるので、そのあたりから書いてみます。

 本を出すとき、著者と出版社の間で交わす契約には2種類あります。

●『出版権の設定』契約

 基本的に「独占契約」です。その著作権使用料はロイヤリティ方式になります。ロイヤリティという名前なのは、著作権は、むかーし、ヨーロッパの王が、海賊版を何とかしてほしいという印刷会社にあたえた「独占・お墨付き」の権利、つまり王(ロイヤル)なのね。ちなみに、日本で「印税」と呼ぶのは、その「お墨付き」を、著者が「印」を押した小さな紙を著作権の「証紙」として本の奥付部分に糊付してたから。今は、省略されています。(ワンダーフェスティバルでは、これに似た方式を採用しています。)

 『出版権の設定』では、著者は出版社に対して「独占的に」出版を許諾します。その契約期間は3年と著作権法で定められています。3年が経った後、更新されることもあります。
 この契約期間内は、著者は、他の出版社から同じ内容の本を出すことが出来ません。
 そういったシバリがあるかわりに、出版社は、一定期間内にその本を出版する「義務」があります。原稿を受け取ったのに、いつまでもその本を出さないでほっておくことは許されないのです。

●出版契約

 こちらは、シバリ(独占・3年・すぐに出版する)が無いタイプの契約です。
 著作権法ではなく、ビジネス上の「契約」となります。色々な条件を書いた『出版契約』の契約書を両者で交わします。内容は、両者が同意していれば基本、問題ありませんが、公正でなければなりません。片方に一方的に不利になるような契約は許されません(通称『下請け法』などで定められている)。例えば、この契約に「独占」の項目を入れた場合は、それに対する対価は、通常の金額よりも大きくなるでしょう。

(書くのを忘れてたので追加。支払いはどういう方式でも公正な契約なら、つまり、常識的な金額なら、一括でもいいし、ロイヤリティ方式でもいいし、両者が納得していればいい。一括の場合は、手続きが一回で終る代わりに、あとでベストセラーになる可能性も考えなくちゃならないから、金額を決めるのはタイヘンだろうな。ロイヤリティだと、作者は最初にまとまったお金はもらえないけど、後々すごーい売れたら、とおもうと、やっぱりこっちだけど、支払う側は面倒)

 ちょっと前置きが長くなりましたが、ここからが本題。

 そのどちらも、基本、著作権は著者が持ちます。
 出版社は、著者から「複製権の一部である「出版」を対価の代わりに一定期間、貸与されるだけ。

 そういった中で、出版社が著者から「複写権」の中の「出版する権利」を買い取ってしまう場合があります(著作財産権の譲渡)。
 ただし、作者が自分の作品に名前を付ける権利は、日本では譲渡は許されないので、著者は印税を受け取ることは出来ないけど、その本の著者名は、かならず明記されていなければなりません(『氏名表示』という権利を含む、著作者人格権は譲渡できない)。

 出版権の設定も、出版契約も、売りつくせばおしまい(増刷も可)。そこで契約は終わります。

 しかし、電子書籍の場合はそうはいきません。

 売りつくす、ということが無いのですから。

 アマゾンは、一度、本を電子書店に並べたら、いつまででも売りたい(お店に並べておきたい)でしょう。

 だから今回の契約の中に、出版社が出版する権利をすべて持つことを要求してきているのだと思います。作者が「もう売りたくない」と言ってきても、出版社が権利を買い取っていれば、そんな心配は無いからです。

 もう一つ、理由があります。
 出版社が倒産してしまったら・・・。

 アマゾンは、売り上げの中から、分配金を出版社の口座にまとめて振り込みます。
 出版社がつぶれてしまっても、あらためて著者と契約し直して、著者個々にお金を払うメンドウなことをしないで済むでしょう。

●そしてここからが本題の中の本題。今回は、このことを書くために、長々と書いてきたのであります。

 では、著者がマゾンから電子書籍を出してもらいたいとき、必ず、出版社に出版する権利を売ってしまわないと、アマゾンから電子書籍は出してもらえないのか。

 そんなことはないと思います。『出版権の設定』ではなく、独占ではない『出版契約』にしておけばいいのです。

 最初に出した本は、その出版社をとおしてアマゾンから、ほぼ永久に出し続けてもらってかまわない。
 そのかわり、著者は、同じ内容の本を、他の出版社から出し直してもらえばいいのです。

 そもそも、アマゾンが予定している電子書籍には、『3年縛り』があり得ないのですから、『出版権の設定』契約もあり得ず、契約は「出版契約(非独占)」でしか出来ないのです。独占にしたいなら、独占料を別途要求すればいい。

 ということであれば、アマゾンで出す分は最初の出版社に任せ、初公開の作品ならある程度の期間を置いて、そうでなければ、本を作り直してアップルで出したってかまわない。

 ここで最初に紹介した

・書籍の著作権は出版社が保有するのが条件

 ですが、これが正しいとすれば、「著作物の著作権」ではなく「書籍の著作権」なのであり、
 「出版権」ではないのですが、今回のことが話題になった別の記事では、

 「その作品に関す巣あらゆる権利を出版社が網羅的に管理する」みたいなことが書かれていて、さてどちらなのでしょう?

 日本の著作権法では、複製権以外の例えば「翻案権」などは、その媒体ごとに、具体的に・個々に契約書に「特掲」されてなければならず、「すべて」などよいう契約は許されていません。

 

まあ、著作権専門の弁護士じゃないから、どこかに間違っている可能性もおおいにあるし、前のほうに書いたように、元の契約書を見ていないので、今現在の僕の理解はそんなとこ。

●この文章は、アメリカの出版界の商慣習をあまり知らないで書いているので、間違っている可能性もあります。

 アメリカの話 その1

 小説家が小説の映画化権を映画会社に売ってしまうことがあります。その場合、小説家は、映画に何も言う権利は無いようです。しかし、元の小説を出版する権利は著作者のものであって、映画会社のものにはなりません。
 これは、ジョー・ホールドマンさんが『終りなき戦い』の映画化権を映画会社に売ってしまったときのことをご本人から教えてもらった内容デス。ところで、本当にリドリー・スコット監督の『終りなき戦い』は作られているのでしょうか?

 アメリカの話 その2

 同じ小説が、時期を変えていろいろな出版社から出ていることは当たり前のようにあります。この場合、出版社同士て権利の売買があるかどうか、ぼくは知りません。


 *追記 「書籍の著作権」ではなく、「書籍化の著作権」かもしれませんね。「書籍化」という言葉は聞いたこと無いけど、日本語としては間違っていません、それは「出版権」と同等ではないけれど、

 【出版権】 厳密に言うと、出版する権利は著者のもの。その著者が持つ権利を、一時的に期間を限って出版社に委託したり譲渡したりするのが「出版する」ということ

 【電子出版の権利】 には著作者が持っている著作権の中の複数の権利を総称したものかな。たとえば

 ・複製権(これが大元の権利。出版権は、普通の「複製(例えばコピー)」に比べれば,遥かに部数が多い(大量に複製して公開することを「頒布(はんぷ)と呼びます)
 ・デジタル化権(デジタルデータにすることで簡単にコピーできるようになるので、出版権とは別に別途定義されている権利ですけど、著作権法の条文にあるかどうかは、僕は最近の著作権法を読んでないので、知らないであります。
 ・公衆送信化権(デジタルデータを、誰でもアクセスできるサーバーなどに置く権利。名称は不正確かも)


●10月2日の朝、追記
 この文章は、著者(小説家とか)の立場について書いたものです。本には多くの人が携わっており、例えば、編集・装幀(装幀デザイン・装画・写真)などは少し立場が異なってくるので、そのへんの事情は次回にでも。

  2 につづく
 

 
 

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